「行方」

「ヒトって噂話大好きですなぁ」

 そういって男は見ていた画面を閉じて、側にあったコーヒーをすすった。香ばしい香りが部屋中に広がる。 雑多な印象を受けるその部屋は、物が大量にあるだけで小奇麗だった。半分は書斎半分は実験室。明確な区切りはないながらもその用途の違いは明らかで、左半分と右半分の部屋の中にあるものはまったく異なっていた。

 近代西洋の技術を終結したような真っ白いラボ。かたや時代劇に出てくるような雅やかな装飾を施した年代物のタンスや机。わざわざ畳をしつらえている辺りに部屋主のこだわりを感じる。
 近代文化の先走りのような江戸末期から明治、大正時代を髣髴するようなその家具の数々の中、妙に違和感を感じるのは大きなモニター2台。最新式のパソコンが起動していた。

  両手を広げてもあまるほどの大きな机にデスクトップ2台を並べ、机の上には年代物と思われるマグと手のひらサイズのクッキー。 マグはどこかの焼き物なのか、ずっしりと重そうなそのデザインは無骨ながら手にはしっくりとなじむようで、部屋の主の男性にしては細くしなやかな指先が映える。部屋の主は優雅にブレイクタイムのようで、積み上げられた沢山のポストイットが折り重なった本を手に取りぺらぺらとめくり始めた。

 椅子を倒しクッキーを頬張るその姿は怠惰そのものだが、めくり始めたノートの中身はなかなかに刺激的な記事であふれかえっていた。新聞やゴシップ記事のスクラップが所狭しと並べられている。年代別というわけでもなく、1000年以上前のものものから最近のものまで無造作に貼られている。
 
「んー。このゴシップ記事のニーさんよぉやってたのに惜っしい人材が消えたわー」

  部屋主は一人ごちながスクラップされた一枚の記事を指ではじいた。その主は『暴君』と称されていた一人の王を追っていた稀有な記者。謎の失踪を遂げた彼の死体は未だ行方不明のまま。下界であればどこかで生きているかもしれないなどという想像が出来たかもしれない。しかしここは冥界、誰もそのような楽観的な想像はしなかった。

 法律国家のような体制はあくまでも『下界のヒト』に対しての理であり、その実一人の王の絶対君主国家のような状態が現実だった。この記者はその『絶対君主制』のトップに牙を向いた第一人者。失踪という名の行方不明者がどうなったかなど火を見るより明らかだ。

「ま、今生きてたとしてもゴシップの飯代にもならへんけどな」

 コーヒーを飲み干してスクラップされたノートを投げ出した部屋の主は楽しげに書斎を抜け、ラボへと消えてゆく。かたやお香とたたみの青々とした香り。かたや薬品や薬草の独特の香り。しかし何故か混ざり合うことなく自身の室内のみに留まっている。
  部屋の主は独特の和風衣装の上から白衣を着込み、異国語で書かれた書類に数字を書き込んでいった。目の前のビーカーはバーナーの発する熱でぼこぼこと中身の液体を躍らせている。その隣にあるフラスコの中には、酸化した葉や粉上の何かが少量ずつ入れられていた。三角フラスコの中には真緑の液体が少量。部屋の主は手際よく秤で粉の料を計りながらまた別の容器に移し始める。その顔は先ほどとは違い真剣そのもので、張り詰めてはいないが緊張感のある空気は真っ白な この部屋に良く似合っていた。

 すぐ側にある大きなホワイトボードには細やかな数式が所狭しと書かれている。その上に先ほど書き込んでいた紙をべたべたと貼り付けてゆくのだ。時に赤、時に青、数値は消しては書き直され書き直されたものの上を塗りつぶされまた新しい数値が書き込まれてゆく。

 そんな光景は3時間ほど続いた。
 この部屋には窓は無い。四季と時間の動きをつかさどる空を見ることはないので、デジタル時計が時を告げる。時間はすでに午前2時を回っていた。

「んー。こんな時間かぁ」

  大きく伸びをして部屋の主は欠伸をしながら白衣を脱ぎ捨てた。一部薬物を棚に入れ、鍵をかける。そのまま和室へ足を伸ばし、真っ赤な女物の着物をリメイクしたと思われる優美な着物を流しで羽織り、ゆるりと弛ませたまま帯を締めた。蝶と小花は金糸で描かれており、華やかなその赤をより美しく魅せる。
 そのまま部屋の主は玄関へと足を伸ばした。着物とは真反対の洋物のブーツを履き、和室には似つかわしくない洋風のドアノブに手をかける。玄関横にある美しい彫を施した靴箱の上に添えられていた鏡に映ったその姿は、着物に負けず美しい。

 涼やかな目元、菫色の髪、化粧ひとつ施さない自然の美しさ。均衡の取れた細身の体は女性物の着物を羽織っても劣ることなく、むしろ着物を食うような色気を有している。
 ダメージジーンズとヴィンテージのブーツは不思議なほどしっくりなじんでいた。

「っといけないいけない。今日はニーさんらと会う前にオシゴトせんとあかんかったわ」



 玄関前で部屋主はひとりごちたあと、目を伏せて唇をかすかに動かした。
 一瞬の出来事だった。

 先ほどまで長身細身の涼やかな男が、小柄で愛らしい少年に変化したのだ。
 服装もあでやかな着物から一変、だぼっとしたズボンにローブ。髪の色こそ変わらないが大きな目と愛らしい表情は明らかに先ほどの男とは違い、子供そのもの。大きな肩掛けかばんをかけ、下界のヨーロッパ地方に伝わるようなかわいらしい帽子のようなもので頭を覆っている。
 身長も50センチほど縮んでしまっただろうか。挿げ替えたかのようにまったくの別人だった。

 少年は鏡を見ながらにぱーと笑い玄関の扉を開けて外へと飛び出していく。

「おしごとーおしごとー!」

 声も、顔と同じようにかわいらしく高らかな声に変化していた。

[2011.11.03]